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Special Interviews
徒弟制度の下で、真のテーラーリングを身体で覚えた職人たちの仕事・技。 それをオーダーできる時間は、後どのくらい残されているのだろうか。
―― 70代前後の職人さんたちの存在というのは本当に貴重ですね。
中寺: batakの職人たちが修業をしていた頃というのは、テーラー自体が研鑽していた時代で、個人経営のテーラーが全国におそらく数千店規模で営業していました。テーラーがオリジナルで仕立てた服を競い合うコンクールなども盛んに行われていましたし、世界中のスタイルを見様見真似で取り入れる気運も旺盛だったようです。技術を身につける職業訓練学校も全国に数多くあり、「貝島システム」、「稲葉システム」といった日本独自のパターンメイキングが確立されていて、それを元にクセ取り補正の技やカッティングの妙を学んでは自身のテーラーの開業にこぎつけていました。生地屋さんも「羅紗屋」と名乗っていたるところに店を構え、国産・輸入生地ともに商売的にも活況を呈していたようです。
ただし、この日本でテーラーが隆盛を極めたおそらく'60年代初頭の頃となると、スタイル自体が日本風にアレンジされることで「着やすさ」や「日本人の体型に合う」ことに重点が置かれ始めたのでしょう。ヨーロッパのエレガントなスタイルからは離れて行きました。逆に'50年代の方が、フルコピーの世界ではないですが、情報がないながらも英国やイタリアのスタイルに忠実でした。
いまでも働ける熟練の職人たちは、日本オリジナルのテーラーリングが確立されていた頃に仕事をしていたため、パターンメイキングとなるとこの時代のスーツづくりが身体に染みついているようです。それを、情報技術の発達で手軽に揃えられるようになった往年の資料類や、鮮明な映像ソフトなどから得た動く情報を元にスタイルやパターンをマネジメントしていく。そして、職人たちの引き出しから鍛え抜いた技術を出してもらい、サビル・ロウでさえ忘れてしまった往年のスタイルをクライアントと対話(ビスポーク)しながら創り上げていく。それが、モデリストである私の仕事だと思っています。
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