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Special Interviews
会社が潰れそうなときでも、お洒落することだけは忘れなかった。
―― 佐々木さんが、いまのお仕事を始めたいきさつは?
佐々木氏: 僕は東京・洗足で生まれて、この辺の土地っ子なんです。オヤジはこの辺の地主。しかも、この界隈で名の知れた土建屋でした。当時、近衛文麿さんだとか、二二六事件でご不幸にあった斉藤実さんとかいろいろな偉い方がお得意様にいらっしゃいました。下山事件で有名な国鉄総裁の下山さんもその一人です。そんな洗足にお住まいの方々の土地を管理・支配していたんです、僕のオヤジは。
オヤジ曰く、この商売は「鳴るうちの太鼓」。二代目に継がせるという気持ちのない両親でした。ですので、僕には別の職業に就かせようと慶應の中等部に行かせたんです。慶應義塾に初めて中等部ができた時で、僕はその一回生。慶應は高校・大学へと進んで、大学の終わりごろに突然オヤジが亡くなりまして、急遽家業に駆り出されることになる。当初は家業を継ぐ気もなかったんですが、しばらくして、「コレは近道だと。オヤジが土台をつくったんだから」と考えるようになりましたがね(笑)。
家業を継いだ当初は、飯場に抱えていた現場作業員が300人超。オヤジが雇っていた作業員は、他の会社では扱えないような気の荒い男ばかりでしてね、昭和の半ばですからそれはもう血の気の多い仕事場でしたよ。それを慶應出たての若造が仕切らなければならない。修羅場ですよ。
―― いきなりの土建会社社長で、どう切り盛りされたのですか?
佐々木氏: 荒くれ集団を技能集団に改革し、会社組織として機能するようにして何とか軌道に乗せたつもりでした。でも、途中で「これはもう倒産か」という時期が5〜6年続きましたね。今日倒産するんじゃないか、明日倒産するんじゃないかという日々の連続です。毎日借金取りが来るから、居所を転々とする。いつ後ろから刺されちゃうかもしれないから、家に帰ってこられない(笑)。家族にも迷惑かけますからね。何日も車中で寝ていました、着た切り雀で。雨が続くような季節には、現場のぬかるんだ場所で長靴の中まで水浸し。それを履いたままで何日も車中生活を続けるので臭くなる。そんな惨めな時期もありましたよ。
倒産危機の原因は、業績ではなく僕の道楽。競馬、博打、花街。酒だけは飲まなかった。だから今、健康なんですよ(笑)。で、これではいけないということで、改心しようと決めました。で、道楽はピタッと止めた。僕は、何か止めるときにはタバコでも何でもそうなんですけれど、ピタッと止められちゃうんです。そういう性格。こんなことやっていたら将来結婚もできないと思い詰めて、一切の道楽から足を洗ったんです。
また当時、僕の素行の悪さからウチの家族に迷惑をかけていた。8人いる姉・妹たちに対して、当時は興信所の調査なんてものが入るわけです。「あそこの娘のお兄さんは博打に呆けている」とか、「競馬場に通い詰めている」とか、「銀座の愚連隊の仲間内では有名だ」とか・・・。姉や妹たちがお嫁に行けないようなことがあってはマズいという、男としての責任に目覚めたのも道楽から足を洗った理由です。そうしたら、その後、どんどんビジネスが良くなっていきました。儲かって儲かって、「こんなにも仕事って上手くいくか」という時代が訪れるようになりました(笑)。
佐々木 森一氏
「佐々木総業」および「カンパイ・オブ・トウキョウ」の総帥、佐々木氏。インタビューの日に着用されていたのは、プリンス・オブ・ウェールズ柄の3ピーススーツ。約5年前にお仕立てになられたもの。つまり、ずっと体型を維持されている。
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